Citations:平定

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Japanese citations of 平定

  • 1910, 白鳥庫吉, 倭女王卑彌呼考:
    若しも此の如き形勢の變動無からんには、如何に景行天皇及日本武尊が勇武にましますも、此く容易に九州の北部を經略平定すること、或は能はざりしならん。
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  • 1913, 森鴎外, 阿部一族:
    島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸の邸に添地を賜わったり、鷹狩の鶴を下されたり、ふだん慇懃を尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのも尤もである。
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  • 1916, 桑原隲蔵, 支那人の文弱と保守:
    この軍威に風靡して、間もなく九州平定の功を收むることが出來た。
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  • 1922, 寺田寅彦, 蓄音機:
    西南戦争に出征していた父が戦乱平定ののち家に帰ったその年の暮れに私が生まれた。
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  • 1923, 桑原隲藏, 蒲壽庚の事蹟:
    元軍の方でも東南を平定するに、蒲氏の助力を得るのが、第一の要件であることは夙に承知して、未だ行在の陷落せざる以前に、至元十三年の二月に、元の伯顏は特使を派して、蒲氏兄弟に投降を勸誘して居る。
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  • 1925, 国枝史郎, 神州纐纈城:
    「油売り松並荘九郎がともかくも美濃を平定し斎藤道三と宣る浮世だ。
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  • 1927, 永井荷風, 上野:
    然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。
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  • 1928, 折口信夫, ごろつきの話:
    かやうに、鎌倉末から戦国時代にかけては、或は山伏しとなり、或は庸兵となつた様な無頼の徒が、非常に多かつたのであつたが、此等の中、織田・豊臣の時代までにしつかりとした擁護者を得なかつたものは、最早、徳川の平定と共に、頭を上げることが出来なくなつて了うた。
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  • 1933, 長岡半太郎, 大阪といふところ:
    しかし豐臣秀吉が爭亂を平定して、こゝに築城してから、その空氣は一新し、大阪の本質を發揮した。
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  • 1937, 喜田貞吉, 国号の由来:
    実を云えば我が帝国が東方海上に孤立して、諸外国と交渉を有しないような時代には、国号というべき程のものの必要は無かった筈で、神武天皇大和平野を平定して、ここに帝国の基を定め給い、それより皇威四方に発展して、次第にその大をなすに至ったのであったから、自然とヤマトの名が、その国家を指示する場合に用いられるようになっていたのである。
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  • 1938, 中谷宇吉郎, :
    大阪城代在任中、天保八年大塩平八郎の騒擾事件があったが、善処よく平定せしめた。
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  • 1939, 岡本かの子, 河明り:
    畳の上ではそれほどでもないが、廊下のような板敷きへかかると船の傾きを踏み試めすような蛙股の癖が出て、踏み締め、踏み締め、身体の平定を衡って行くからである。
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  • 1944, 太宰治, 津軽:
    その後、弘仁年間には文室綿麻呂の遠征があり、また元慶二年には出羽蝦夷の叛乱があり藤原保則その平定に赴き、その叛乱には津軽蝦夷も荷担してゐたとかいふ事であるが、専門家でもない私たちは、蝦夷征伐といへば田村麻呂、その次には約二百五十年ばかり飛んで源平時代初期の、前九年後三年の役を教へられてゐるばかりである。
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  • 1946, 津田左右吉, 建国の事情と万世一系の思想:
    宗教的意義での邪霊悪神を掃蕩せられたことはいわれているが、武力の用いられた話は、初めて作られた時の物語にはなかったようであり、後になってつけ加えられたと思われるイズモ平定の話には、そのおもかげが見えはするが、それとても妥協的平和的精神が強くはたらいているので、神代の物語のすべてを通じて、血なまぐさい戦争の話はない。
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  • 1951, 坂口安吾, 飛騨の顔:
    それが大友皇子にも当るし、聖徳太子か、太子の嫡男たる山代王にも当るし、日本武尊にも当る方で、神話中の人物にもその分身はタクサンありますが、日本の中ツ国を平定するために天照大神に命ぜられてタカマガ原から日本の中ツ国へ降りてきた天のワカヒコのミコト、下界で恋人ができて一向に命じられた平定事業にとりかからぬので天照大神の投げた矢で胸を射ぬかれて死んでしまう。
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